上映開始から一年ほど遅れで「福田村事件」を映画館で観てきた筆者である。
柏のキネマ旬報シアターにて、このタイミングで上映されるたのだ。
昨年観そびれていたため、上映開始日に駆け込んだ次第である。
とにかく観て良かったよ
史実に基づいた映画なんだよな…
監督は、オウム信者たちの日常を追ったドキュメンタリー『A』『A2』などで知られる森達也氏である。
この『福田村事件』は歴史に葬られた虐殺事件を扱った劇映画となっている。
そんなわけで、映画の紹介や感想を書き記しておきたい。
※以下、映画の内容に触れているのでご注意ください。
なお視聴後、思わず読んだ以下の本を大いに参考にしている。
映画『福田村事件』の簡単なあらすじ
1923年8月、日本統治下にあった朝鮮で教師をしていた澤田智一(井浦新)は列車で故郷の千葉県福田村へと向かっていた。
澤田は朝鮮で起きた凄惨な虐殺事件を目撃していたが、そのことを妻静子(田中麗奈)にも打ち明けられずにいる。
列車では、福田村に嫁ぎ戦争で伴侶を失った咲江(コムアイ)が遺骨を抱えていた。
ときを同じくして、沼部新助(永山瑛太)率いる薬売りの行商団15名が香川から関東へむけて出発する。
9月1日、関東大震災が発生する。
未曾有の災禍のさなか、巷では流言飛語が横行し始めていた。
朝鮮人が混乱に乗じて火をつけて回っている、井戸に毒を入れている、集団で襲ってくる、といったものであった。
こともあろうに内務省よりその流言を肯定する通達がなされ、関東の村々は自警団を組織しにわかに市井が殺気立つ。
そして9月6日、千葉県福田村にて悲劇が起きる。
地震でしばし足止めをくっていた行商団は利根川を超えて茨城へ入るべく、船頭の倉蔵(東出昌大)と交渉をしていた。
一刻も早く移動をしたい沼部は倉蔵と些細な口論をしてしまう。
そこで聞き慣れぬ讃岐弁を不審に思った村人により、朝鮮人ではないかとの疑いをかけられてしまう。
鐘が打ち鳴らされ、休んでいた一団はたちまち百名ほどの村人に取り囲まれてしまうのである。
村人の手には竹槍や鍬が構えられていた。
行商の証明書を提示するもヤジと怒号で、全く聞く耳を持たない村人であったが、澤田夫妻らが静止にはいる。
駐在が証明書の照会のためにその場を離れたわずか1時間に満たない時間に、タガが外れた村人は凶行に及んでしまう。
証明書が本物だと知らせに来た駐在が戻ったときには、すでに9名が惨殺されていたのである。
その中には3名のこどもと1名の妊婦も含まれていた。
そんな感じである…
『福田村事件』の感想
観ながらに震え、憤りと恐怖に苛まれた。
どこまでもばかげた話だ!という憤りと、自分が村人だったとして冷静でいられるのか…という恐怖である。
村の異分子気味だった人々は、自らの考えを保ち必死に止めようと動いた。
そして群衆は止まることができなかったのだ。
なぜ流言飛語が広まったのか、なぜそれを政府が肯定したのか、なぜ普通の人が普通の人に手をかけてしまったのか。
映画でも描かれたように、新聞社は政府指導のもと震災の前から朝鮮人や社会主義者といった「政府にとっての不穏分子」を悪者だと印象付け続けていた。
犯罪記事の末尾に、毎度「社会主義者か鮮人の仕業か」みたいなことを書かされてたっぽいね
また震災直後に警官が噂を広めていた描写もある。
大規模な災害である。パニックはどうしても起きるだろう。
しかしその原因として一つの民族を名指しできるわけがあるまい。
中には不逞をはたらいた朝鮮人もいたかもしれないが、それは日本人にも言えることである。
大正時代というのは、通して日本が朝鮮を併合していた時代にあたる。
調査との名目で土地を奪い、労働力として朝鮮人を日本へ連れてきていた。
この時期には独立運動も活発化している。
そういった背景があり、政府から村人までもが、虐げてきた存在をかえって過剰に恐れることにつながったのだろう。
結果として、震災後に各地で虐殺事件を生み出してしまった。
それこそ劇中、証明書の照会の1時間に満たない時間すら待てないほどに恐れてしまったのだ。
駐在は「日本人だったら大変なことだ」と言い残して調べに向かった。
これに呼応するかのように村人へ発した沼部のセリフがすべてであろう。
何人だから殺していい、なんてことがまずありえないのだ。
何層にも歪んだ群集心理に戦慄するばかりである。
同調圧力とか集団の狂気みたいなことって、今だってあるよな…
今はデマだっていくらでも作って広められちゃうもんな
また映画で描かれたように、行商団は香川の被差別部落の出であった。
この事件自体にそのことがどう作用したかは定かではない。
ただそのためだろうか、当初この事件に関して公的な形では被害者の遺族や関係者には何一つ知らされなかったそうだ。
そんな感じでまずテーマが太くて、筆者は消化しきれなかった次第である。
だから思わずこの事件を追ったノンフィクション本を翌日読んでしまった。
今から10年前に出た本であり、綿密に資料に当たりインタビューを重ねた書籍である…!
被害者達の人員構成なんかはなぞっているものの、映画は演出上いくらかのフィクションも含まれている。
この本には行商団の生き残った方の証言や当時の新聞などの貴重な文献・資料が数多く取り上げられており、実際の事件をより深く知ることができる。
併せて読むことを強く推奨したい。
増補改訂版には森監督の特別寄稿も収録されてるぞ!
テーマもさることながら演技や脚本もこれまた素晴らしかった。
井浦氏、東出氏、瑛太氏は特に素晴らしく目を見張るものがあった。
井浦新のなにか抱え込んじゃってる様も引き込まれる感じあったぞ
あと東出氏、まず役どころが吹っ切れすぎててビビったけど、殴り合いとか諸々良かったな〜
うむ。終盤、映画の中核をなすようなセリフがあったけど、あそこらへんの瑛太は本当すごかった
また個人的には自警団を動かす長谷川を演じた水道橋博士はかなりのはまり役だと感じた。
インテリ組の村長田向や澤田に対抗心のようなものをむき出しにする様子はどこか滑稽なムードが立ち込めていて良かった。
そして虚勢を張り、村のため国のためと集団の狂気を増幅させてしまう。
最後の慟哭でもってただの悪のシンボルというわけではなく、「普通の人が普通の人に手をかけてしまう」という狂った構造を一層浮き彫りにしていた。
その慟哭の直後に奥さんが投げかけた労いの言葉は、行商団の方々を軽んじるうそ寒い響きが漂っていた。
(ちなみに実際の事件後、8名の村人(隣村の田中村の村人4名を含む)が逮捕されている。この面々の家族に対して、村を上げて見舞金を贈ったり農繁期の手伝いをしたという記録があり、村全体でことに及んだという意識があったことがうかがえる)
他にも、他の村から福田村に嫁いで家を追い出されてしまった咲江を演じたコムアイ、朝鮮で暮らし行商団とも交流を持った澤田の妻静子を演じた田中麗奈、権力に疑問を持ち続けた新聞記者を演じた木竜麻生といった女性陣もまた素晴らしかった。
そんな感じで全体的に見応えありまくりだったゾ!
おわりに
ということで『福田村事件』を観た!という話であった。
観たあと、いろいろな想いが渦巻き錯綜し、どうにも大変なことになった。
すごすぎた〜
是非多くの人に観ていただきたい映画である。
おすすめ!
ちなみに福田村は千葉県の野田市に跡地がある。隣村であった田中村は柏市にあり、筆者は柏駅に隣接したキネマ旬報シアターで観てきたのであった。
アーバンパークラインこと旧東武野田線に乗った
野田線の開通にあたっては、当時の朝鮮人労働力が寄与しているそうである。